【ヒップホップ用語辞典】"ヒップホップ (Hip Hip)" とは
"ヒップホップ (Hip Hip)" とは
ヒップホップとは1970年代に生まれた、①ラップ・ミュージック、②DJing(アナログレコードを使って、スクラッチなどのパフォーマンスをする)、③ブレイクダンス、④グラフィティー(地下鉄道の車体や壁などにカラースプレーを使って絵や文字などを描く)という、アフリカン系アメリカン人とラテン系アメリカ人の若者を中心的担い手とする4つの大衆の総称である。
しかし、中でもラップ・ミュージックとDJingを伴う音楽はヒップホップ・カルチャーの中で一番大きな役割を果たしているので、これら2つだけを指してヒップホップということが一般化している。
現在、アメリカの音楽業界における主要ジャンルとして人気を博すヒップホップであるが、その起源は1970年代前半のニューヨークだとされる。(ンディアイ 123 )パーティなどでソウル・ミュージックやファンクなど既存の黒人音楽のトラック(楽曲のうち歌唱が伴わない、演奏だけの部分)に即興で韻を踏んだ歌詞を乗せたものがヒップホップの原型である。次第にトラックも自分たちで作るようになっていくが、既存の音楽を部分的にサンプリングする(楽曲の一部分を用いてモチーフを構成する)技法が用いられることが多い。
【ヒップホップの歴史】
ヒップホップという音楽ジャンルがアメリカの音楽業界に進出し、一般に知られ出したのはいつ頃であろうか。アラン・ライトは以下のように述べている。
In October 1979, a new record label called Sugar Hill Records released a single titled “Rapper’s Delight,” credited to a trio known as the Sugarhill Gang. A few weeks later-on January 5, 1980, to be precise-the song entered Billbord’s Top 40, where it remained for just two week, preaking at No. 36. (Light, “Introduction”)
1979年の10月、Sugar Hill Recordsと呼ばれる新しいレコード・レーベルがSugarhill Gangとして知られるトリオによる “Rapper’s Delight”というタイトルのシングルレコードをリリースした。数週間後―正確には1980年1月5日―その曲はビルボード・トップ40に入った。たった2週間しかチャートに入らなかったが、最高で36位を記録した。
ライトは、この “Rapper’s Delight”こそ、はじめて一般の人々に知られるようになったヒップホップの楽曲であるとする。続けてライトは、ヒップホップという1970年代に黒人とラティーノの若者によってニューヨーク市の公園やクラブ、そしてパーティで創造されてきた革命的にして斬新なサウンドとスタイルの音楽は、この曲のリリースによってはじめて可視化されたと述べている。
1980年代、ヒップホップという音楽ジャンルを定着させていったのは、Grandmaster Flash and the Furious Five やRun-D.M.C.などによるヒット曲であったが、1980年代後半から1990年代前半にかけて東海岸のニューヨークでは、Public Enemy、Boogie Down Productions、Eric B. & Rakimなどが中心となって次々と新スタイルの楽曲を発表した。彼らの楽曲は、音楽的には単なるサンプリングの域を出した質の高いものであった。また歌詞も政治的であったりメッセージ性を帯びたものであった。後に彼らの音楽を指し、“Golden Age Hip Hop”(ヒップホップ黄金時代)といわれることもあるほどである。
一方、1980年代後半の西海岸では、N.W.A(Niggaz Wit Attitudes)が、西海岸独特の「ギャングスタ・ラップ」の先駆けとしてデビューした。彼らの音楽は「ギャングのラップ」といわれるとおり、内容といいスタイルといい過激で、反社会的なものであった。
【The Sugarhill Gang - Rapper's Delight】
<参考文献>
Light, Alan. The Vibe History of Hip Hop. New York: Three Rivers Press, 1999.
ンディアイ、パップ『アメリカ黒人の歴史―自由と平和への長い道のり』創元社、2010年